コラム

[自転車の歴史]第6回 ツール・ド・フランス黎明期の自転車とは

第6回 ツール・ド・フランス黎明期の自転車とは

Tour_de_France
(c)Bibliotheque national de France

Recueil_Tour_de_France
(c)Bibliotheque national de France

今年のツール・ド・フランスは予想通り、クリス・フルーム選手の総合優勝で幕を閉じた。チームスカイの組織力が素晴らしいことを改めて証明して見せた。それでもフランス人選手が活躍してくれないと地元ファンの気持ちは収まらない。今やフルーム選手は表彰式でブーイングが起きるなど、完全にヒール(悪役)。強すぎる分、憎まれ役になった全盛期の横綱北の湖のように…。

前回までの「自転車の歴史コラム」はこちら
第5回 自転車文化は一日にしてならず
第4回 マウンテンバイクがやってきた
第3回 ジュニアスポーツ車は永遠に
第2回 ジュニアスポーツ車が遺した技術
第1回 ジュニアスポーツ車とは、いったい何だったのか?

さて、100年前へタイムスリップしてツール黎明期に選手たちが乗っていた自転車を探る旅へ出るとしよう。手元に1枚の写真がある。1908年に撮影されたものだ。驚くなかれ、既に前後輪が同径でダイヤモンドフレーム、チェーン駆動、ドロップハンドル、フリーホイールという現代と変わらないスタイルで出走しているのだ。一見して違うのは首にタイヤチューブを何本も巻いていることと、ヘルメットではなく帽子をかぶっていることくらい。それ以外は? 実は決定的に違うことがあった。ディレイラー(変速機)が付いておらず、車輪が落ちないよう留めているのがクイックリリースではないことである。

意外に思うかもしれないが、変速機の歴史は内装式から始まっている。幾つものギアの組み合わせで変速する仕組みだが、1900年代に出始めた頃は信頼性に欠け重い代物だった。1920年代になると外装式が登場し、構造のシンプルさも相まって信頼性が一気に上がった。ロッド式やスライドシャフト式と呼ばれた機構を持つ初期のディレイラーは、1950年代にカンパニョーロのパンタグラフ式「グランスポルト」が登場すると駆逐されてしまうのだが、それはもっと後の話。ツールで変速機の使用が認められるのは1937年に「変速機は軟弱だ」と考えていた、初代ツール・ド・フランスディレクターのデグランジュ氏が引退してから。技術は既に存在したが、それまで意図的に封印されたのだ。

変速機が封印されたことで逆に生まれた技術もあった。ロードレース黎明期は車輪の両側に歯数の違うギアを装着(ダブルコグ)してあり、山の麓に来ると選手自らが車輪を固定しているウィング(蝶)ナットを緩めて外し、左右を反転して坂道用のギアに替えてから登っていたのだ。イタリアの自転車パーツ大手メーカー、カンパニョーロ創業者トゥーリョ・カンパニョーロはロードレース選手だった。1924年冬のレースでトゥーリョは坂の手前で蝶ナットを外そうとしたが、寒さで手がかじかんで車輪を外せずにリタイヤした。この経験を基にまずクイックリリース(クイックレリーズ)を考案して、自転車パーツの製造に乗り出す。クイックリリースはカンパニョーロの大発明である。レーサーとしては大して活躍できなかったが、後に起業家として、その才能を大いに発揮することになったのだった。

ディレイラーやクイックリリースは、その後のレースシーンを大きく変えた。これで現代の自転車と全く同じ仕様になったのだろうか?まさか。ロードレースの歴史は長い。次回はコンポーネントの誕生について語ることにしよう。

内海 潤内海 潤(うつみ じゅん)NPO法人 自転車活用推進研究会 事務局長株式会社エクスゲート 代表取締役東京サイクルデザイン専門学校の非常勤講師として次世代の自転車人を育てる一方、イベントや講演会などを通じて自転車の楽しさや正しい活用を訴える活動を続けている。テレビへの出演多数。共著書に「これが男の痩せ方だ!」がある。