コラム

[自転車の歴史]ペダルの歴史

ペダルの歴史

 1860年前後フランス人ピエール・ラルマンが発明した自転車用ペダルは踏面が常に上を向くよう油壺が重りになっており、中には植物油が充填してあった。ペダルを逆さにすると油が軸に落ちて摩擦係数を下げる仕組みだ。同時代同国のピエール・ミショーが考案した新しい自転車にキーデバイスとして採用され、年間1,000台の規模で生産されたが、油壷付ペダルは手間とコストが掛かった。

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 1890年代に欧米各国で自転車がブームとなり、生産台数が飛躍的に伸びると、ペダルはコスト削減と機能性向上のため更にシンプルで軽い物になる。踏面に滑り止めのギザギザが付けられ、回転部分に粘度の高いグリスを塗って出荷されるようになった。ブームに乗ってペダルも量産されたのだ。ただしレースに出る選手の場合、引き足が使えないフラットペダルは大腿四頭筋ばかり疲れるので、つま先を固定して脚の裏側にあるハムストリングスや臀筋を活かせるよう工夫し始め、やがてトゥクリップなどに進化して定着する。

 1980年代にフランスのスキー用品メーカー、ルックがビンディングペダルを開発すると、同じくフランスのタイムがすぐさま追随した。長きにわたって、ロードのみならずMTBレースでも靴とペダルを固定するにはトゥクリップやスパイクペダルが使われて来たが、ビンディングは引き足が使いやすいと選手達から熱烈に支持されることになる。日本でもシマノが1987年にMTB用のSPDを完成させて売り始め、のちに固定具(クリート)の大きなロード用のSPD-SLを開発した。先行したルックやタイムも各社独自のペダルを開発して、しのぎを削って来たため互換性がなく、それが仇となって今年のツール・ド・フランスで前代未聞の事件が起きてしまったのだ。

 ツール第12ステージには「魔の山モン・バントゥ」があり、何か起きそうな雰囲気が漂っていた。選手と観客の距離が近いのはロードレースの醍醐味だが、不運にもマイヨ・ジョーヌ(総合1位ジャージ)を着たクリス・フルーム選手の自転車が破損。マヴィックのニュートラルカーから1台借りて乗るも、彼のSPD-SLクリートとペダルが嵌合せず諦めて走り出した。まさか魔の山を自ら走って登るとは思わなかっただろう。結局、運営上のミスとされ救済措置が取られて彼はマイヨ・ジョーヌを守ったが、チームスカイのサポートカーが走る彼に追い付くまでの数分間は理不尽にマイヨ・ジョーヌを失う不安で気が動転したに違いない。マヴィックはルック、タイム、フラットのペダルを装着した自転車しか載せてなかったのだ。シマノのシェアを考えると理解に苦しむところだが、利害が絡むので規格を統一する方向には行きそうもない。ユーザーがどれを支持するか選択肢を残しつつ、歴史の判断を待つしかなさそうだ。

前回までの「自転車の歴史コラム」はこちら
第11回 自転車の駆動方式について
第10回 フレームの歴史
第9回 折りたたみ自転車のルーツと今後のポテンシャル
第8回 空気入りタイヤという大発明
第7回 コンポーネント(コンポ)の誕生
第6回 ツール・ド・フランス黎明期の自転車とは
第5回 自転車文化は一日にしてならず
第4 回 マウンテンバイクがやってきた
第3回 ジュニアスポーツ車は永遠に
第2回 ジュニアスポーツ車が遺した技術
第1回 ジュニアスポーツ車とは、いったい何だったのか?

内海 潤内海 潤(うつみ じゅん)NPO法人 自転車活用推進研究会 事務局長株式会社エクスゲート 代表取締役東京サイクルデザイン専門学校の非常勤講師として次世代の自転車人を育てる一方、イベントや講演会などを通じて自転車の楽しさや正しい活用を訴える活動を続けている。テレビへの出演多数。共著書に「これが男の痩せ方だ!」がある。