コラム

[自転車の歴史]今も昔も早く走れるだけでは勝てません。|自転車レースの歴史

今も昔も早く走れるだけでは勝てません。|自転車レースの歴史

 現代のツール・ド・フランスでは機材とメカニックを積んだサポートカーが伴走し、トラブルがあればすぐ対応してくれるが、昔はそうはいかなかった。何しろ、出発時に装備したパーツを全て持ってゴールしなければならなかったから、故障したら自分で直す必要があったのだ。当時の山道は舗装されておらず、自転車本体の強度も低かった。ひどい時には1ステージで10回以上パンクしたし、前輪を支えるフォークが折れることだってあった。鍛冶屋に駆け込んで修理してもらい、完走した選手がいたのは有名な逸話だ。当時の写真を見ると、選手たちはチューブとタイヤを何本も肩から斜に掛けて走っている。今では考えられないが、1日に何度もパンクしたらチューブ交換では追いつかず、補修パッチを当てて穴をふさぐ作業まで自らやったに違いない。

 黎明期は選手たちを更なる窮地に陥れる妨害工作を仕掛ける輩が暗躍した。トップを走る選手の自転車を夜のうちに破壊したり、食事に毒を盛って暗殺したりした選手がいたほか、1903年の第1回大会から1914年に第一次世界大戦で開催が途切れるまで、毎年コース上に大量の釘や鋲が撒かれた。結局、釘撒き犯を特定できず捕まえられなかったが、せっかくダンロップが軽くて乗り心地の良い中空タイヤを発明したというのに、ソリッド(中身の詰まった)ゴムのノーパンクタイヤが再び主流になりかけたほどだ。空気の抜けたタイヤで走り続けたせいでタイヤが千切れてしまいリム(車輪)だけで走る選手すらいたらしい。こうなるともう、ロードレースではなく障害物競走である。

 一方、レースでは車体(フレーム)やパーツの新製品が試され、改良されていった。毎年ツールには最新機材が投入され、車道の舗装化も進んでパンクは激減した。フォークはパヴェ(石畳)で鍛えられて折れにくくなった。そして釘撒き犯も姿を消した。もう大丈夫だろう、正々堂々と自転車で勝負ができる。誰もがそう思った。ところが当時、夜までかかって走り続ける長いステージには文字通り落とし穴があったのだ。都会はいいが外灯すらない真っ暗な田舎道も走るため、排水溝に落ちる選手が続出した。日中しか走らない現代のツールでは起こり得ないアクシデントだ。また家畜やペットが落車の原因を作ることは現代のレースでも時々ある。実際、逃げを打つ選手の前を犬が通せんぼし、すんでのところで免れた光景を見たことがある。今も昔もツールで勝つ条件は精神力を含む頑強な肉体と強運、どちらも不可欠なのだ。

 やがてツールは国威掲揚を目指し代表チーム制へと移行していくことになる。

前回までの「自転車の歴史コラム」はこちら
第16回 ツール・ド・フランスは奴隷のレース!?|自転車レースの歴史
第15回 自転車がタイトルに入る法律の歴史
第14回 ハンドルの歴史
第13回 サドルの歴史
第12回 ペダルの歴史
第11回 自転車の駆動方式について
第10回 フレームの歴史
第9回 折りたたみ自転車のルーツと今後のポテンシャル
第8回 空気入りタイヤという大発明
第7回 コンポーネント(コンポ)の誕生
第6回 ツール・ド・フランス黎明期の自転車とは
第5回 自転車文化は一日にしてならず
第4 回 マウンテンバイクがやってきた
第3回 ジュニアスポーツ車は永遠に
第2回 ジュニアスポーツ車が遺した技術
第1回 ジュニアスポーツ車とは、いったい何だったのか?

内海 潤内海 潤(うつみ じゅん)NPO法人 自転車活用推進研究会 事務局長株式会社エクスゲート 代表取締役東京サイクルデザイン専門学校の非常勤講師として次世代の自転車人を育てる一方、イベントや講演会などを通じて自転車の楽しさや正しい活用を訴える活動を続けている。テレビへの出演多数。共著書に「これが男の痩せ方だ!」がある。