コラム

[自転車の歴史]1930年代、ツール・ド・フランスは国別対抗戦だった。|自転車レースの歴史

1930年代、ツール・ド・フランスは国別対抗戦だった。|自転車レースの歴史

 今年2017年のツール・ド・フランス、つまり第104回大会はドイツのデュッセルドルフでグランデパール(開幕)だ。その後ベルギーとルクセンブルクを通ってフランスに入る。第100回大会はフランス国内100%にこだわって開催されたが、グランデパール招致を熱望するフランス国外の都市は多い。ドイツ出発は1987年大会のベルリン以来かれこれ30年ぶりで、当時は東西を区切るベルリンの壁が崩壊する前の、まだ東ドイツだった頃の話。

 国家という目に見えないまとまりへの帰属意識を高めるのにスポーツは最高で、例えば知らない競技に参加する初めて見た選手でも日の丸を付けていたら応援したくなる。それが知っている競技の馴染みの選手なら、なおさらだ。そんなファン心理をツール生みの親デグランジュは狙った。

1930年から第二次世界大戦までツールは代表チーム制で競ったのだ。時あたかも男子テニスのデビスカップやサッカーワールドカップなど国対抗のスポーツ人気が盛り上がって来た頃である。フランス代表は青白赤のトリコロールジャージに雄鶏のワッペンを付けたが、この時点ではフランスのスポーツウェアメーカー、ル・コック・スポルティフのトレードマークではなく、フランス男性の象徴として付けたようだ。ル・コック・スポルティフの公式サイトには1951年に初めてツールのジャージに採用されたとある。なぜフランス男性の象徴が鶏なのかは諸説あるが、ナポレオンは承服せず鷲を使ったそうだ。上昇志向の強いナポレオンらしいエピソードである。

 まだ第一次世界大戦の傷跡が癒えない1920年代、さすがに釘や鋲を撒く輩はいなくなったが、相変わらず未舗装の道路ばかりでパンクは絶えず、山坂道で変速機も使えなくて選手たちを苦しめていた。この頃にツールはマイヨ・ジョーヌ(総合1位ジャージ)と山岳コース(ピレネー・アルプス)を手に入れている。また黎明期は個人戦だった自転車レースだが、自転車メーカーがチームを組んで出場するようになって役割分担が進んで行く。そのすぐ後の代表チーム制は帰属意識を否応なく高め、フランス国内の自転車人気は不動の地位を築いた。

 もうひとつ、デグランジュが天才だった証拠がある。キャラバン隊の発明だ。現代のレース観戦者にアンケートをしたところ47%がキャラバン隊の配る商品サンプル目当てに来ると答えたくらい、レースの前に通るキャラバン隊には単にスポンサーを増やすだけでなくレースファンを増やしてきた功績がある。1930年に8台で始まったキャラバン隊は観客を喜ばせ、現代では200台以上、長さ20km超、配布物数1,600万個以上、1社あたりの投資額2~5,000万円となっている。現代のレースまで続くツールの基礎は、この頃に築かれたのだ。

前回までの「自転車の歴史コラム」はこちら
第18回 ツール・ド・フランスにまつわるお金とドーピングの話|自転車レースの歴史
第17回 今も昔も早く走れるだけでは勝てません。|自転車レースの歴史
第16回 ツール・ド・フランスは奴隷のレース!?|自転車レースの歴史
第15回 自転車がタイトルに入る法律の歴史
第14回 ハンドルの歴史
第13回 サドルの歴史
第12回 ペダルの歴史
第11回 自転車の駆動方式について
第10回 フレームの歴史
第9回 折りたたみ自転車のルーツと今後のポテンシャル
第8回 空気入りタイヤという大発明
第7回 コンポーネント(コンポ)の誕生
第6回 ツール・ド・フランス黎明期の自転車とは
第5回 自転車文化は一日にしてならず
第4 回 マウンテンバイクがやってきた
第3回 ジュニアスポーツ車は永遠に
第2回 ジュニアスポーツ車が遺した技術
第1回 ジュニアスポーツ車とは、いったい何だったのか?

内海 潤内海 潤(うつみ じゅん)NPO法人 自転車活用推進研究会 事務局長株式会社エクスゲート 代表取締役東京サイクルデザイン専門学校の非常勤講師として次世代の自転車人を育てる一方、イベントや講演会などを通じて自転車の楽しさや正しい活用を訴える活動を続けている。テレビへの出演多数。共著書に「これが男の痩せ方だ!」がある。